逆引きの綴文

私は人間です。

"以上でよろしかったですか"は、店員さんの最大限のおもてなし

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外食をすると、最近は店員さんが注文を取り終えると、

「以上でよろしかったですか」

と過去形で言います。

言葉の使い方をどうこうというわけではなく、何故よろしかったですかとお客さんに聞く人がいるのかを考えてみました。

 

「よろしいですか」

というのは、「貴方が注文した内容を、今から処理するけど、それでよいか?」という店員が今からする行為について、客に許可を委ねていると考えられます。

英語で云うと「Will that be all?」なので、未来への行動を決定しても良い?と聞いていると言えます。(分かりませんが)

 

一方、

「よろしかったですか」

というのは、「貴方が注文した内容は、本当に合っているのか」という、客が過去に喋った内容について、正しいのか確認しているとします。

英語で云うと「Is what you said right?」でしょうか。

厳密には違うでしょうが。

つまり、言葉遣いの違いが生じるのは、店員に重みを置くのか、客に重みを置くのかで起きていると考察します。

つまり過去形を使うのは、お客様を第一に考えているという配慮によるものだと言えます。

そう考えると、過去形を使って怒る人は

「そんなに配慮しなくていいから!」

と、店員のことを気にしているツンデレと考えると、怒られる店員さんも少しは気が楽になります……でしょうか?

 

 

 

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マウスで描くと、更にガタガタしますね。いやはや難しい……。

 

 

 

 

 

問題を解決すれば何でも良いのだけれども、考えていますか?

日記部分(問題ない)

起床していない。

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タイトルについて(問題だらけ)

タイトル通りです。

基本的に、僕は問題を解決できるならば、何を使っても構わないと思うタイプです。

昨今は、ネットで検索して、問題を解決する人達が多いでしょう。

キーワードを入れて、検索すれば、だいたい狙った内容が書いてあるページにたどりつけます。

で、それをほぼコピペして提出なんてこともよくあります。

まあ、色々問題はあると思うのですが、基本的に僕はそれでも、その人が理解していれば良いと思います。

ただ、そのままコピペする人は、理解してないことが多いです。

ちょっと問題を変えると途端に答えられなくなります。

問題の本質はそこまで変わっていないのにも関わらずです。

これは、学部生1年にTA(テーティングアシスタント)として、プログラムを教えていた時の経験です。

 

コピペしない場合でも、大体の人はある答えを見つけたら、それを鵜呑みにします。

だから、結局問題を出すと、誰もが同じ答えになります。

ネットで言うと、閲覧数が多いページが一番上に出てきて、皆そこから取ってくるからでしょう。

まあ、でも今の時代ではコピペするよりはマシな方です。

 

先程から書いているように問題を解決するならば、別に良いと思うのです。

ただ、問題というのは与えられるだけならば別にそれでいいのですが、最終的に人はみな、問題を自分で作り出して、自分で解決する必要があります。

恐らく、何か創作するだけではなく、仕事の上でも必要になるでしょう。

例えば、新しい製品を作るとなれば、現在ある問題点を見つけ出す必要があります。

そんな状況になったら、さて困ったことに調べるだけでは駄目です。

というか調べても、恐らく問題を見つけることは出来ないでしょう。

では、どうすれば良いのか。

……残念ながら、僕にも確かなことは分かりません。

ただ、僕は、問題を与えられた時に、寄り道をする人は、問題を新たに見つける力が、ストレートに見つけ出す人よりも優れているのではないかと思うのです。

 

昔の人達は、恐らく調べるという環境が、今よりも整っていませんでした。

ですから、色んな情報を集めて、自分で考える必要がありました。

だから、解決方法が稚拙なものでも、人それぞれに個性があり、下手すれば、今までにない独創的な物だって生まれていた可能性もあります。

今の人達は、たぶん人に伝える能力は昔の人よりも高くても、皆同じような物しか出せないということはあります。

どちらが良い、というわけではありません。

ただ、環境が整えば整うほど、誰かにレールを引かれたように、皆が同じ考えを持つようになり、多様性が消えていくのではないでしょうか。

これの危険な所は、「正しい」と思っていたものが間違っていた時に、とても労力がかかることです。

数打ちゃ当たる、というわけではありませんが、結局色んな事に触れて、色んな事を知っていれば、色んな方法を使うことが出来ます。

更に、様々な知識があることで、その知識同士を比較して、メリット・デメリットを知ることが出来ます。

更に、異なる分野の共通項を見出して新たな問題を見つけ出すこともあるだろうし、ある分野の方法が別の分野の問題を作り出す、解決するということもあるでしょう。

 

しかし、何よりも怖いのは、結局触れた内容に対して「これは正しいのか?」と疑問を思わなくなることでしょう。

自分で判断する、というのが唯一その人の価値とも言えるのに、それが他人のしかも誰かわからない人間に委ねてしまうというのは、中々怖いものです。

そういう人に限って、他人のせいにする傾向がある、という気がするのは僕だけだと思いたいです。

 

 

 

Eスポーツもマインドスポーツもスポーツも、新しい単語で1つに定義すると解決する?

日記部分(スポーツではない)

起床時間は11時頃。

夜ご飯の準備をして、大学に13時頃つきました。

人工音を作って、ポスターの修正を行いました。

恐らく、明日には実験準備が完了すると思います。すこし、手間取りましたが、ある程度実験の設定も決まってきたので一安心。

ポスターについては、グラフの見せ方に少し苦労してます。

それ以外は、ある程度決まってきたかと。

あとはどれだけ文字を減らして、情報量をそのままに見せやすくするかにかかています。

幸いにも、今までより早めに出来上がっているので(発表の3ヶ月前)、色々試すことが出来ます。

早めに行動しておくというのは、クオリティを上げるという点で重要なことです。

精神的にも、余裕があるのでそれが中身に反映されてくると思って、作業していますが果たして。

 

そういえば、2つの記事が本来自分が出したいと考えていた時間よりも早く出てしまいました。

スターもついていて、どうしようかと思いましたが、毎日出すということが、僕のルールなので、申し訳なく思いながら、本来出す時間に設定しました。

ご迷惑をおかけしました (多分誰にも迷惑かけていないと思うけど)。

記事を書きすぎて、時間の管理が難しくて、こうなりました。

少し記事の管理を気をつける必要があるなと反省しました。

書きすぎないようにするのは難しいので(?)、別の何かで管理することも考えていますが、何か良い方法はないでしょうか。

(と、問いかけている時は、すでに著者に答えがあって、別に求めていないことが多く、大体は締めの言葉に困っているからこう書いている。……と云うと文句言われる可能性があるので、そんなことはありませんとここで宣言しておきます。)

因みに、前も一度このようなミスをして気づいたのですが、ある記事Aを出して、Aを一度下書きに戻して、別の記事Bを先に出すと、AについていたスターがBに移るということがあったので(再現性不明)、今日は本来夜に出す記事を先に出して、朝に出す予定だった本記事を出しました。

明日から、前日までのような順番で記事を出すつもりです。

今日みたいな間違いをしなければ、ですが。

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タイトルについて(オホーツク)

タイトル通りです。

最近は企業がスポンサーとなって様々なビデオゲームで大きな大会を開かれるようになりました。

所謂プロゲーマーと言われるゲームでお金を稼ぐ人達も出てきて、20年前には考えられなかったことです。

ビデオゲームを競技として捉えることを特にEスポーツと言うようです。

エレクトロニックは電子を意味しますが、電子スポーツと言われるとピンと来ない人もいることでしょう。

エレクトロニックゲーム・スポーツと言えば、より分かりやすいと思うのですが、恐らく名前の響きを重視したのではないかと思います。

 

さて、Eスポーツで時々出てくるのが、「Eスポーツは身体を動かさないからスポーツではない」という意見です。

そもそもスポーツの定義とは、手元の国語辞典で見ると

――日常の仕事を離れて楽しむ、諸種の運動・球技や登山など。

と書かれています。

恐らく、スポーツと言えば運動でしょうが、運動の定義は

――①物が時間の経過と共に位置を変えること。

②からだを鍛え、健康を保つためにからだを動かすこと。

とあります。

基本的にEスポーツは、スポーツではないという意見は、この運動の②の意味でもあるからだを動かしていないからだ、という根拠から成り立っているようです。

しかし、この身体を動かすというのが、どの程度の動きをしたら、運動になるのか不明です。

運動である/運動でないと判断する境界や指標があるのでしょうか。

運動をそこまでしないので何ともいえませんが、見た目静かそうで身体を動かさないようなスポーツもあるでしょう。(ふと思いついたのはアーチェリー)

Eスポーツに似たようなもので、マインドスポーツというのもあります。

マインドスポーツの定義は、高い思考能力を要する競技のようです。

ただ、これも微妙な所で、どのスポーツも、自他と争う以上は、高い思考能力を必要とする競技ばかりだと思います。

短距離だって、単純に走れば良いというわけでもないでしょう。恐らく選手たちは、色々考えて試行錯誤しているはずですし。

 

大本をたどれば、スポーツ自体がとても曖昧です。

敢えて曖昧にすることで、多種性を大きくしているのでしょう。

だったら、Eスポーツもマインドスポーツも、スポーツにしてしまえばよろしいのではないでしょうか。

何となく思うのは、Eとかマインドをつけて敢えてスポーツと区別する理由が僕にはよく理解できないのです。

このような名前をつけることで、宣伝効果がある、見栄えがよろしいというのもあるかもしれませんが、ただでさえ新しいものには、風当たりが強いのですから、理由が明確でない限りは、新しい名前を下手につけない方が良いような気もします。

今までとは違うんだ、というような意識が見える気がする(僕は見えないけど)から、そのような "どうでも良い"反対意見が出るのかもしれません。

ですが、名前に対する討論は、競技者や関係者からすれば恐らくそこまで重要ではないはずです。

そんなことで、イメージを悪くして、スポンサーが離れたり大会が無くなるほうがよっぽど嫌でしょうね。

だから、新しいものにつける名前をそれだけ吟味する必要があるとも言えます。

こうやって広まってしまっては、変えることにも労力がかかるのですから、それだけ最初に名前を考えることは重要だと言えます。

 

 

 

 

ちくわ

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ちくわです。

いや上の絵の正体や僕の本名がというわけではなく、今日の記事の内容が。

 

ちくわって、凄いと思いませんか。

だって、ちくわだし。

そのまま食べれるし、焼いて食べれるし、蒸して食べれるし。

切っても切らずしても食べれるし。

中に他の具材入れれるし。

チーズとか、きゅうりとか、ソーセージとか。

おにぎりの具レベルで、多様性があるじゃん。

そこそこ安いし。

 

うん。

ちくわ。

漢字で書くと、竹輪。

 

だから皆で食べようちくわ。

今日から君も語尾はちくわにしようちくわ。

逆に書くとわくち、だちくわ。

 

もうさ、海もバナナボートじゃなくて、ちくわボートにしよう。

そしたら、中に人入れて、海の中泳げるじゃん。

多分、数秒も保たないだろうけど、中の人。

ちくわの穴に入れられている具の気持ちになれるんじゃない?

 

ちくわ、すげえ。

ちくわ、つよい。

ちくわ、ちくわ。

ちくわ。

 

酒のつまみにもいいよね、ちくわ。

今日のおつまみは、ちくわにしようよ。

ちくわの中にコンビーフでも入れてさ、日本酒片手にきゅうとやりましょうよ、お父さん。

ちくわが貴方の夜を盛り上げてくれますぜ。

 

ちくわちくわちくわ。

串に刺さってちくわ。(ちくわ)

醤油にぬられてちくわ。(ちくわ)

ちくわ三兄弟。ちくわ。

 

もし、この世の中がちくわ星人に責められても大丈夫だろう。

ちくわの中に入れば良い。

そしたら、ちくわも人間も仲良く出来るはず。

だって、どんな具材だって、文句なく通してくれる。

そんな協調性のあるちくわ。

世の中の政治家はちくわを見習ったらどうなんだ、ええおい。

 

でかいちくわぬいぐるみでも作ってさあ、仕事から帰ってきて、疲れた君に。

ひんやりちくわ。

体全身を、ちくわが冷やしてくれます。

冬もあたたかちくわぬいぐるみでも作って、全身カイロみたいに、温まれば良い。

これで夏も冬もちくわのおかげで、過ごしやすくなる。

台風の時もちくわかっぱでも作っていれば、濡れることもないし、もし倒れても、ちくわが全身を守ってくれるクッションになる。

 

そう考えると、世の中の全てはちくわで解決できるのではないか?

みんなちくわでハッピー。

この世界の優しさはすべてちくわで出来ている。

ちくわ神。

ちくわ教。

ちくわ。

 

ああ、思い出した。

おれ、ちくわ、最近食べてないんだ……。

こんだけ語っておいて、おれはちくわになんて酷いことをしていたんだ……。

ごめん、ちくわ。

明日、スーパーで、朝市買ってくる。

だからそれまでは。

良い子にしておいてくれ。

なんたって。

君はちくわなのだから……。

 

 

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さよなら、ちくわ。

また会う日まで。

 

今月のPVが100行ったようです。~ありがとうございますぅ、と電話越しで声が高くなるのは何故なのか~

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今月のPVが100行ったようです。

おどろ木ももの木さんしょの木。

www.chukai.ne.jp

驚き桃の木山椒の木、と打とうとしたら予測変換で出てきて、調べたら上記のホームページが出てきたので、載せておきます。

一度も行ったことがありません。ごめんなさい。

鳥取県で学会等があれば、使うかもしれません。

 

さて、まずは皆様、ありがとうございます。

しょうもない日記と、その下に訳のわからない文章が載ってある糞ブログを見てくださる方々いると思うと、申し訳なくなる気持ちでいっぱいです(と、書いている時は、実はそうは思っていないことの方が多い)。

僕は、今まで数回ブログをやって消してきたわけですが、記事をここまで書いたブログはこれが初めてです。

これもそれも、全て予約投稿のおかげかと。

後、記事のレイアウトの固定をして、なるべく書く労力を減らしてきたからだと思います。

素晴らしいね、はてなブログ

 

しかし何をしたらいいのか、ということで色々考えて見て、まあ結局僕は、現在人間に関する研究をやっている(ザックリすぎる)ので、それに関する話を皆様に伝えるぐらいしか、僕にはできません。

つまりいつもどおり。

 

電話になると、声が高くなる、大きくなるという人がいると思います(唐突)。

うわー、ありがとうございますぅう!

ていうやつです(分からない)。

この現象には名前がついていて、「ロンバード効果」と云います。

(因みに僕は音声の専門家ではないので次の段落に書いてあることは、間違っている可能性があります。興味あれば調べてみてください。)

 

自分の周りの環境が雑音下だと人は無意識のうちに、静寂下に比べて声を張り上げたり、高くしたり、早く喋ったり(喋るスピードに関しては、差があったり無かったり)する機能が備わっています。

電話越しや相手がいなくても、雑音下であれば、この効果は生じるので、常に周りの音を気にしながら喋っていると言えます。

つまり、女性の声が電話越しに高くなるのは、別に媚を売っているわけではありません(失敬!)。電話だと、雑音が載っているので自然とそうなるのです。

因みに男性もそうなると思うのですが、電話で声が変わるという例でよく取り上げられるのは女性の方が多いですね。

あれは……なんででしょうね。

女性の声の方が高くて、周りの人に伝わりやすいので、その分多くの人の印象に残りやすいからでしょうか。

 

環境によって、行動が変わるというのは音声に限った話ではありませんが、特に話すという行為は、日常的に行われてるので一部で注目を集めている効果です。

ましてや、テレビ電話など遠距離での会話であれば、会話時に雑音が載るということも必ず起きます。

どれだけ、雑音が載ったり、データに歪みが生じても、はっきりと聞こえるか(この指標を明瞭度とも云う)というのは、手間やコストの削減や、実装出来る可能性を高めるのに重要な要素です。

もっと簡単な所で言えば、人間の可聴域なんかもそれです。基本的には20Hz~20000Hzまでの音しか聞こえないので、それ以上もそれ以下の音のデータは理論上無駄と言われています。

そうやって、無駄な所を削ぎ落とし、物事の本質だけを残す、というのはどの分野でも行われていることです。

このブログで言えば、朝に投稿している記事は二段階構成を貫き通しているという点でしょうか。

おかげで、レイアウトを考える必要はありません。

見ている側は、変わらないから良いという人もいれば、変わらないからつまらないという人もいるでしょうが、最早それは制御しようがないので仕方がありません。

環境が変われば、人の行為は簡単に変わるので、行為を理想の物にしたければ環境を構築するのが先、というのはあながち間違っていないでしょう。

 

というわけで何の話をしていたか分かりませんが、これからも宜しくお願い致しますぅ!

 

 

夢ややる気はないのが当たり前

日記部分(ただのほうこく)

起床時間は11時。最近は朝の6時まで作業をしている(価値のある作業ではない)ことが多いので、この記事を書いている日から、少しずつ戻していきます。

台風の影響で少し天気が悪かったですが、ちょうどバスが来たので大学に行くことにしました。

以前来た台風よりは、ゆったりとした天気でした。もちろん雨も降り、風も吹いていましたが。

大学についてから、実験用の音の録音をしました。準備するまでに一苦労でしたが、何とか無事終わりました。

それから、音を切り出して、その音から人工音の作成に移ろうとしたところで、PCに問題が発生。

GUI上で右クリック→新規作成を選ぶと、何故かツール欄の表示に10数秒かかるという事態が発生しました。

恐らく、昨日行ったアップデートによる影響ではないかと思いました。

色々調べていると、Windows10の1809では、新規作成時にそのような不具合があると書かれているページがありました。

多分、Ver自体はずっと前から1809なのですが、何故か今頃になってその不具合が起きるように。

いちいち新規作成をする度に、CPUに負荷がかかるので、流石にやってられないなと思い、Verを最新の1903にしました。

音を録音するという最低限の作業は終えていたので、別の作業をしながら、アップデートが終わるのを待っていました。

国際学会用のポスターを自主校閲したり、聴覚に関する博士論文を読んでいたりして、約1時間ぐらいかかりました。

アップデートが終わると、すぐに右クリック→新規作成を選び、すぐにツール欄が表示されるのを確認し、一安心。

1903自体は今年の5月ぐらいに出ていたようですが、恐らくOSの深い部分の変更だから、基本的には自主的にアップデートしないといけないようになってそうです(確認していない)。

というのも、普通アップデートは「何も問題なければなるべくしない」というのが、どのソフトウェアを利用する上で必要な考え方です。

アップデートすればするほど、壁に上塗りしているように、ゴミが溜まっていくイメージをして頂ければよろしいかと。

なので、本当は、まっさらな状態で最新バージョンを入れるというのが一番問題ないやり方なのですが、最近はそういう話も聞きませんね。

昔は、本当に気にする人は、OSを2週間毎にクリーンインストールするというツワモノがいるという噂も聞きましたが、最近もそういう人はいるのでしょうか。

グラフィックボードぐらいならありそうですが、OSとなると果たして……。

何はともあれ、直ってよかったです。

 

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タイトルについて(やる気を売買)

タイトルについてです。

僕は昔からやる気や夢は無くて、ただゲームや友達と外で遊んでいました。

自慢するわけではなく、事実なので、云いますが小学生の頃は一度も勉強せずに、宿題ぐらいしかしなくとも、テストは大体良い点数(90点以上が当たり前)だったので、勉強しなかったのです。

ただし、親から無理やり通信教育を受けさせられていたので、少しは勉強してました。

 

中学生になっても勉強せずとも、数学と理科に関しては良い点数が取れていたので殆ど勉強しませんでした。

ただし、暗記科目(社会や英語)は勉強しないと取れなかったので勉強してました。ですが、別にやる気があったわけではなく、受験前でもよく親が勉強するよう怒られていましたが、その間ゲームもしてました。

 

受験後、何故か地元の高専に受かりました。そこから、はじめて勉強しないと良い点数が取れないということが起きました。

はじめて「ああ、勉強しないと生きていけないぞ」と思いました。

というわけで勉強を常にしていて、そこそこ良い点数をとっていました。

この頃、そこそこ学問の面白さを感じるようになりました。特に数学。

専門でも大体数式が出てくるので、世の中の事は数学によって、保証されているのかという事に気づいたのも、良い発見でした。

ですがやる気があったわけではありません。大体ゲームや小説を読んだり、友達と遊んだりしてそっちの方が楽しかったです。

 

それとずっと夢もありませんでした。小学生の頃、母から「夢あるの?」と聞かれて、「ない」とはっきり答えて、すごく心配されました。

今の時点で夢もないとか、大丈夫なのか。母と父と話していたのを今でも記憶にあります。

 

小学生の頃、絵を描いてておもろかったので、一瞬だけ「漫画家」になりたいということはありましたが、それもやる気が無くて、絵を描くのを辞めました。

そもそも技術も無く、絵も下手だったし、人に見せたくなかったので向いてなかったと自分でも思ってます。

今現在も、夢と言われるとよく分かりません。

強いて言うなら「無意識のうちにぱたりと死にたいなあ」という願望はありますが、今の所死んでないので、朝起きたら、何かやってから死ねということだろうと勝手に解釈して、その日に予定した仕事をこなして死ぬ準備をしております。

 

というわけで、編入後そこそこの大学に潜り込んで、卒業しても未だに何か夢を見つけたとか、やる気が作業をしているかと言われるとそんなことはありません。

ただ、「やる気なくても作業する癖をつけていれば、まあやれるな」とか「やる気なくて辛くても、まあ出来るな」という作業を目の前に置いてやっております。

それがたまたま成果を上げたり、たまたま外に発表するように進められて行うことはあります。

ただ、それも自分が心から望んでいたと言われると微妙です。その時その時、「まあやってみるか」とちょっとだけ心が湧き上がるぐらいで、作業をやっている途中は「面倒だなあ」という感じで、だらだらと時間をかけてやっています。

ただでさえ、時間をかけないと何も出来ないので、やる気があろうがなかろうが、やらないと終わりません。

 

取り敢えず、僕は作業場のコンピュータを前に座れば、作業をちょっとずつ進めることが出来ます。

だからなるべく、その時間を増やすようにしています。

能力者じゃないので、急に力ややる気が湧き上がってすぐに終わらせるということも出来ません。

夢も「まあ今日も研究室行くか」とか「ファイルを開いて、作業できる準備をしておくか」という細かなことを達成しています。

それが夢?と思う人もいるだろうし、僕もそう思いますが、一時期それすら出来ないことだって僕にはあったわけですから、それを考えると、今は夢を少しずつ達成していると言えます。

小さなことが出来ない人間に、大きな事は出来ないとはよく云いますが、だったら小さな事を見つけて、どれだけ社会から馬鹿にされるようなことでも夢と自分で定義すれば、達成したという実感が得られます。

そういう小さな積み重ねをしていればそのうち、やる気も夢も出てくると錯覺するのではないでしょうか。

 

やる気や夢がない人ということで悩んでいる人は結構いると思います。

僕もそうだったのですが、結局自分はやる気や夢がないというのが標準の状態である、ということを認識しないことには始まらないのではないかと思います。

そして、どんな小さなことでもやり遂げたと、認識すれば、夢というのは別に壮大である必要もないし、やる気というのは突然湧き上がってくるものでもない、むしろフラットなものなのだと、分かるのではないかと思います。

ただし、この話は飽くまでサンプル1個、つまり僕の体験に基づく物なので、その人その人が受け入れるようになる方法があるはずです。

問題は1つですが、それを解決する方法は幾万もあります。その方法だって、それぞれが作り出すだって出来るはずです。

ようは自分で何とかするしかこの問題は解決しない、というぐらい大きな問題だということです。

だから、世の中は「夢」や「やる気」について取り上げているコンテンツが溢れて、それなりに長期に渡って売れているのです。

だから解決するまで悩んでいいし、悩むことは良いことなのです。それぐらい悩むということは、自分のことを大切にしていると言えると、僕は思います。

 

 

 

この絵はな、きっと何かを表す絵なんだよ

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タイトル通りです。

ずっと前から、以下の絵が必ずついてます。

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この絵。一体何だと思いますか。

一方、今日の夜の記事。記事の頭にもついてますが、

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この絵。何だと思いますか。

 

こちら側から、答えを呈示することは用意です。ちゃんと考えて出しているからです。

ですが、絵というのは、そもそも見た人の解釈があってはじめて「価値」が生まれるのです。

別にこの2つの絵を、芸術品である、と口が裂けても言えません。

ですが、このまま謎にしておけば、様々な解釈が生まれます。

一番ありそうなのは「このブログの持ち主は頭がおかしくて、子供の落書きのような絵を毎日記事に載せている」という答えです。

そうして、読者が減っていくわけです。間違いじゃないと思います。

そうして満足する人もいるでしょう。それで良いと思います。皮肉ではなく。

 

結局、世の中の大半のことに「正解」というのはついてないのです。

ある問題がつきつけられて、その人が納得すれば、その人の「正解」になる。

納得しなければ、「正解」が出るまで突き詰めれば良い。

ある人の「正解」が別の人の「正解」によって、「間違い」になることだってある。

そうやって、人は問題に対して様々な方法で取り組んできて、社会を発展させてきたと考えると、少しロマンがあるような気がします(多分僕だけ)。

再現性を求められる研究ですら、そういうことは良く起こり得るわけです。過去に立証されてきたことが、覆される。

でも覆される前は、その問題の正解はそれだったのです。

だから、世の中は常に問題だらけで、解決しても別の問題が見つかる。

だけど、いちばん重要なのはその問題を「見つけることが出来るか?」ということです。

それが出来なければ、幾ら手法を持っていても解決しない。

間違った問題を作ってしまうことだってある。

だから、問題なんかに比べれば正解の重要性なんて、大したことなんかないのです。

 

だから、皆様、この2つの絵に対して、様々な「正解」を作って下さい。

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そうして、「で、答えは?」と聞かれないように、話を逸らす。

僕のブログの記事を書く時の常套手段です。

因みに、この2つの絵の作成時間はそれぞれ3秒程度です。

そういえば、3つの点があると人は「顔」として捉えるという話を聞いたことがあります。

つまり、人間なんでもないような物に対して、無意識に意味付けをしてしまうような特性が備わっているわけですね。

心霊写真なんて、もろに(死語)その処理によって生まれた"コンテンツ"でしょうね。

ロマンチックなので言えば、星座とか?